あの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
千原(ちはら)兄弟 兄・靖史(せいじ)と弟・浩史(こうじ・愛称Jr.)の実兄弟コンビ。先にNSCに入学していた兄・靖史が、弟・浩史を誘い1989年にコンビ結成。第15回ABCお笑い新人グランプリでは、優秀新人賞を獲得する。現在ではお笑いだけにとどまらず、役者や執筆活動、舞台など、さまざまな分野で活躍中。

―― お二人とも若くしてコンビを結成されていますが、アルバイトの経験はあったのですか?

浩史
(以後Jr.)

ありました、ありました。NSC入ってから18歳になるくらいまで、2年間とちょっと。
この世界だけではご飯食えませんでしたからね。
喫茶店や、ラーメン屋やったり……。あと、くるくる寿司やビラ配りもやりましたね。

靖史

居酒屋や焼肉屋とか、僕もいろいろやったけど、肉体労働が一番長かったかなあ。
当時はまだちょっとバブル期やったから景気もよくて、いろいろな建物がバンバン建ってたんですよ。
メッチャ重い壁を、ビルの下から上まで何往復も運んだりして、ムチャクチャしんどかったです。

―― そうして稼いだお金は、どのように使っていたんでしょう?

Jr.

生活費ですね。もう、NSC入った時から一人暮らしでしたから、メシ喰うのと、家賃とか。
当時は、10万円もあればバンバンザイでした。

靖史

僕もほとんどは生活費で、そのほかは遊びに消えてましたね。
当時は、1日やれば1万円ちょっと貰えましたから、長期間やるよりも、必要になったらその時働きに行く。効率的に働いてました。

―― アルバイト経験を通じて、思い出深いエピソードがあれば、ぜひ。

兄の靖史
 
弟のJr.こと浩史
Jr.

僕ら大阪の場合ちょっと特殊で、バイト先で『普段は何してんや?』と聞かれて『吉本の芸人や』言うと、みんなとても温かく迎えてくれるんです。寛容でした。
『あまったメシ持って帰れ』とか、急に仕事が入った時もアルバイトを休ませてくれたりとか、大阪は、そういうところラクでした。

靖史

そうそう。僕らはコンビとしてのデビューよりも、新喜劇のデビューの方が早かったんですよ。その時、初めてもらった給料で飲みに行ったら、そこの大将が、僕がお笑いをやっていることを知って、皿洗いのアルバイトを紹介してくれたりとかね。
焼肉屋のアルバイトのときは『日当いらんから、全部肉にしてくれ』いうて、肉を持ち帰って家で友だちと焼肉パーティーしたりね。
あと、僕は意外と要領がよいタイプだったんで、肉体労働のアルバイト先ではどんどん出世して仕事を任されていったんですよ。
そしたらある日、一緒に働いていた班のおじさんに『よく働く男はいい男だ。ウチの娘と結婚してくれ!』言われて、娘の顔写真まで見せられましたわ。 メチャメチャ可愛かったなあ。でも、断わりましたけどね。

―― アルバイトで経験したことのなかで、今役に立っていることがありますか?

靖史

酒の飲み方がうまくなりましたね。居酒屋の大将に『酒に飲まれる男は最低だ』ということを懇々と言われ、もともと飲むと乱れるほうだったんですが、その教えを守り、かっこいい大人のお酒の飲み方を学びました。
そこの大将が『飲み食いには金をかけろ、明日を生きる血となり肉となる』と、飲むといつも言っていたのも印象的ですね。
今でも、大阪に帰ったときにはその居酒屋に顔を出すんですよ。

Jr.

アルバイトが、お笑いに直接的につながっていることはないですね。
ただ、僕はひとつの仕事にとどまらず、いろいろな職種を転々と渡り歩いたんで、それが、笑いのネタをつくっていく中で、ひょっとしたら、なんかの役に立っているかもわかんないですね。

 
 
 
バイトル情報局