あの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
まつむら・くにひろ 1967年8月11日・山口県生まれ。大学在学中にアルバイトをしていたテレビ局で、片岡鶴太郎氏に認められ芸能界へ。ものまねの才を発揮し、高田文夫氏のものまね「バウバウ」は、若者の間で一世を風靡。その他、ビートたけしやとんねるず・石橋貴明、笑福亭鶴瓶など、ものまねレパートリーは幅広い。

―― 今までに、どんなアルバイトを経験されましたか?

僕が最初にアルバイトを始めたのは、中学生の時。
小学校の頃から憧れていた、新聞配達がスタートでしたね。
月に3000円くらいもらえましたから、当時としてはいい小遣い稼ぎでしたよ。
まあ、田舎だったんで、近所を10軒くらい配ればよかったから、楽でした。
だけど、やっぱり朝早く起きるのはつらかったですね。
僕は2段ベッドの上の段で寝ていたんで、下にある目覚まし時計が鳴っているのを止めるのに時間がかかって、よく父に怒られました。

大学に入学してからは、福岡でホテルのリネンサービスのバイトをしました。
当時ブームだったおにゃん子クラブや、中日ドラゴンズの選手も宿泊するホテルで、国生さゆりさんを目撃したり、郭源治選手のユニフォームをクリーニングに出すときは自分で着て持っていったり、刺激的な環境でした。
そうして、だんだんと有名人を目にする機会が増えていったことが、さらに芸能界への憧れを強くしていきましたね。

―― その時から、ものまね芸人を目指していたのですか?

高校時代、『ひょうきん族』が大ヒットしてお笑いがブームだったんですよね。
その頃から芸能界に憧れていたものですから。
「いつか、ものまねで自分もテレビに出たい」と思っていましたね。

 

でも、なかなかツテも無いので、大学時代のホテルのリネンのアルバイトの後、テレビ西日本で技術補助、いわゆるケーブルさばきのアルバイトをしてたんです。
でも、僕は本当に不器用だったから、VTR壊したりしてずいぶん迷惑をかけましたよ。

それから、『日本ものまね大賞』で敢闘賞を受賞したんです。
その放送を見ていた片岡鶴太郎さんが、僕のことを気に入ってくれて……。
その後、仕事でたまたま片岡鶴太郎さんに会う機会があって、思い切ってたけしさんのものまねで挨拶したら、周りのスタッフは誰一人僕のことを知らないのに、鶴太郎さんは僕のことちゃんと覚えていてくれたんです。
それをキッカケに、東京で鶴太郎さんに話を聞いてもらえるようになったんです。
『期待はするな。東京観光のつもりで来いよ』
とフジテレビのスタッフさんに言われ、『ひょうきん族』の撮影スタジオにお邪魔して、鶴太郎さんに相談に乗っていただいたんです。
それがこの仕事に就くキッカケになったんですよ。
憧れの仕事ができるようになった嬉しさの反面、東京へ行くことへの不安もありましたね。

―― アルバイトを通じて、なにか思い出深いエピソードはありますか?

新聞配達のアルバイトでは、配る前にいろんな新聞の高校野球やスポーツ欄を読んでから、配達していました。
朝6時くらいから配り始めるんですけど、最後の一軒が、すごい山奥。
それで、山の上で朝日を浴びながら、気分よくその新聞を読んで、7時半くらいに配ってましたね。
だから、クレームがすごかったですよ。『何時だと思ってんだ!あいつはもう!』って。
でも、誰よりも早く世の中の出来事を知ることができる。そんな優越感を感じました。

―― アルバイト経験を振り返って、今感じることはありますか?

仕事って、上の人に『あれをやれ、これをやれ』と言われれば、文句を言わずに素直にやらなければならないじゃないですか。
この仕事も同じ。可愛がられてなんぼ、みたいなところがあるから、何を言われようと黙ってやらなければいけない。
テレビ局のアルバイトでは、そんな我慢強さが身につきましたね。
今でも、アルバイトをしていたテレビ局のスタッフ仲間と付き合いがあるんですよ。
学校へ行って勉強をしたり、アルバイトをして友だちを作ったり……。
夢があるのなら、それに向かって突っ走るよりも、「急がず回る」ことも大事かもしれないですよね。

 
バイトル情報局