あの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。

よゐこ
有野晋哉(ありのしんや・左)と濱口優(はまぐちまさる・右)のお笑いコンビ。ともに大阪府出身で1990年にコンビ結成。TVのバラエティ番組やラジオを中心としたコンビでの活躍はもちろん、濱口は映画やドラマに出演したり、有野は趣味であるゲームやマンガ、アイドルについての知識を生かした番組に出演するなど、個々の活動も盛ん。 松竹芸能オフィシャルサイト


有野晋哉

―― 初めてのアルバイトはどんなお仕事でしたか?

濱口 祖父が土木建築業を営んでいたので、その手伝いをしたことはありましたが、本格的なのは高校1年の時のパン屋ですね。
有野 「G」やな。あの店はひどかったねぇ。
濱口 夕方からの営業をなぜかアルバイトの僕が1人で任されていたんですよ。それで、有野君や他の友達に電話して、「今日俺1人やから遊びに来いよ、パンなんぼでも食わしたるで」ってよく呼びました。喫茶店も併設していたので、カウンターに遊びに来られたんですよ。
有野 僕たちが行くと、「話し相手が来た!」って、嬉しそうでしたね。
当時のアルバイト情報誌に「最低時給表」がついていて、これが時給の目安になるんですよ。その頃、高校生は時給600円台が最低ラインと書かれていたのに、この「G」は420円でしたからね。しかも濱口君は一人で切り盛りさせられていましたし。
濱口 その代わり、パンを大量に持って帰っていましたよ。まあ次の日には捨てるパンなんですけどね。売れ残ったパンをラスクにして喫茶店で売るために、袋詰め作業もしてたんです。でも「こんな安い時給でこき使われて!」って腹立たしくて仕方がなかったので、好きなだけ袋に詰めて、もらってました。
有野 でも、あの店のラスクはうまかったよな。僕は高校1年になって、初めてラスクというものを口にしたんです。あまりのおいしさに感動して、よく一緒になって持って帰っていました。
濱口 そのうちパンだけでは怒りが収まらず、家からポットを持参して、喫茶店のコーヒーも持って帰っていました。でも、最後までお店の人には怒られませんでしたよ。
   
有野 でも意外な人に怒られたな。
濱口 僕の実家が喫茶店なので、母親に「何でわざわざコーヒー持って帰ってくんねん!」って怒鳴られました(笑)。
有野 僕も「売るほどあるのになぁ」って思ってましたけどね。
濱口 コーヒーが飲みたかったというより、コーヒーを大量に持って帰ることで、このやるせない気持ちを処理していたんですよ(笑)。
有野 僕のアルバイトは、大阪の梅田にあるステーキハウスが最初です。当時、僕と濱口君を含めて仲のいい5人でよくつるんでいたんですが、一緒にアルバイトを探そうっていうことになって梅田に行ったんです。でも5人一緒に雇ってくれる店なんて当然ないので、二手に分かれることにしました。それで僕は「タグソ」(っていうあだ名の子)と一緒に、そのステーキハウスの面接に受かりまして。
濱口 僕らはどこにも雇ってもらえなかったので、2人に「働けてええなぁ」って言っていました。
有野 ところが、アルバイト初日からタグソが来なかったんですよ。学校を出る時に「先に行っといて」と言って、そのまま来ず。仕方がないのでその日は1人で皿洗いをしてました。2日目も、学校を出る時に「先に行っといて」って言われたので、「これはもう来へんな」と思って、僕も行かずに辞めてしまいました。
濱口 だってあいつ「行きたくない」って言ってたもん。
有野 あいつから誘ってきたはずやのに!
濱口 タグソが「働きたくない」とボソッと言うので、僕が引っ張ったんです。「働くなよ。遊ぼうぜ」と誘うと、タグソもすぐに「おぉ、分かったわ、今日お前と遊ぶわ」って乗ってきて(笑)。「有野どうしよう…」と聞かれたので、「ほっといたらええねん。あいつも辞めてくるって」と言ってやったんです。案の定、次の日有野君は辞めてきました。
有野 そんなことがあったんや。20年の歳月を経て初めて知る真実やわ。

濱口優

―― アルバイト先では、お2人はどのような存在でしたか?

有野 僕はどこでも「できる子」でしたね。高校の頃スーパーで働いたことがあるんですが、そこではドリンクコーナーを丸ごと任されていました。発注もして、商品が売れるごとに「正」の字を書きながら売れた数を記録し、きちんと売れ行き動向を調べた上で発注本数を割り出していました。
   
濱口 できる子やなぁ。だから僕らが遊びに行くと怒るんですよ。「ここでの僕は違うんやから」って(笑)。
   
有野 だって店内で「これパクってええか?パクってええか?」っていうようなことばかり言うんですよ。社長もすぐ近くにいるのに。
   
濱口 僕は「できない子」でしたね。有野が先に働いていた洋風居酒屋に誘ってもらったことがあるんですよ。僕はホール担当だったんですが、注文がなかなかうまくとれなくて。その頃は今のように注文をとるための機械が普及していなかったので、すべて手書きで控えるんです。初めの頃はとにかく焦ってしまって、「海鮮ピラフ」を頼まれても「海鮮サラダ」を頼まれても、すべて「海」とメモっていました。それで厨房に持ち帰って「この『海』って何だと思います?」と店長に聞いては、「知らんわ!」ってよく怒られていました。
   
有野 僕は厨房担当だったんですが、濱口君がとってきた注文票を見ると「ペペチ」って書いてあるんですよ。店長が濱口君を呼び出して「これはぺペロンチーノのことか?」と訊くと、「はい!何かそんな感じです!」って(笑)。それは「もう一度ちゃんと聞いてこい!」って言われますよね。完全な二度手間です。20人規模の宴会の会計をした時も、「合計で5,600円です」と言って、店長が飛んできたこともありました。
   
濱口 あの時はお客さんの方も「安っ!?」ってひっくり返りそうになっていましたね。いろいろ迷惑をかけました。

―― 最後にアルバイトについてのアドバイスをお願いします

濱口 アルバイトはできるだけした方がいいと思いますよ。いろいろな人に会えるし、たくさんの経験ができます。
有野 説得力ないな(笑)。
濱口 自分のダメさもわかります。失敗したり傷つくこともあると思いますが、くじけずにチャレンジし続けてほしいです。アルバイトでたくさん失敗しておくことが、後々、糧(かて)になりますから。
有野 僕は仕事や職場が合わないと感じたら、3日で見極めて辞めるのがいいと思います。教育する側としては、一人前になってから辞められると面倒なんですよ。また次の新人を一から育てなきゃならなくなる。逆に仕事先に迷惑がかかるわけです。
濱口 できる奴の意見やな。僕はダメダメやったなぁ。
有野 でもそのダメダメ経験があって、今回のインタビューは完成したから、結果的には良かったな。
   
 
 
 

VIDEO MESSAGE

よゐこからバイトルユーザへの熱いメッセージはこちら
(Media Player File for ver.8)

Windows Media Playerは、動画、音声を再生するマルチメディアプレーヤーです。
WAV, AVI, QuickTime ムービー、 Real Video 、ASF(NetShow)、MPEG形式、MP3で提供されるデータを再生できます。お持ちでない方は、下のバナーよりダウンロードできます。


↑CLICK HERE!
 
バイトル情報局