スターアルバイト烈伝
山咲トオル
山咲トオル
PROFILE
東京都生まれ・沖縄育ち 
東京・新橋→東村山→杉並→沖縄・那覇→神奈川・三浦三崎→那覇→現在
血液型 : AB型
誕生日 : 8月23日
星座 : 乙女座
趣味 : 料理 アイロン メイク 家でのんびりすること お皿集め
特技 : 書道5段 ピンクレディの振りマネ(全曲)
かわいらしいキャラクターと端正なルックスで男女問わず幅広い層から支持される。近年、タレント・俳優としてのテレビメディアでの活動が目立つが、本来は売れっ子ホラー漫画家でもある。
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バックナンバー
山咲トオル Toru Yamazaki  24歳で漫画家としてデビューするまで、数々のアルバイトを経験してきたトオルさん。アルバイト先ではいつも、お客さんに大評判の優等生だったとか。その秘訣は? あの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。 毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
初めてのアルバイト、時給はなんと300円!

 アルバイトは、たくさんしてきた方だと思います。ファーストフード、アンティークショップの店員、喫茶店、配膳協会、ハンドバッグ屋、アクセサリー屋、イタリアンレストラン、ファミリーレストラン、広告代理店…。16歳から24歳まで、8年ぐらいですね。時給はあまり気にせず、興味のあることをやってきました。

 高校1年生になってすぐにファーストフードでアルバイトをしたんですけれども、時給はなんと300円!学校が終わったあと、夕方5時から夜の10時まで働き、1日1,500円をいただいて…。それでも、初めてのアルバイトでお金をいただく喜びを知り、大感激でした。夏休みは23日も出勤して、37,000円ほどいただき、狂喜乱舞しましたね。今思えば信じられないような時給ですけれど、沖縄でしたから、遊ぶにしても何にしても、その賃金でまかなえていたんですね。

友達がどんどんいろんなバイトをするようになっていき、わたしも世間の常識をちょっとずつ知るようになって、安いということに気付いたぐらい。
お客さんにもらった、2通のラブレター

  時給は安かったけれども、わたしは「転んでも何かをつかんで起きるわよ!」みたいなところがあったので、店長がいない時に友達を呼んではガンガン食べさせ、ソフトクリームなんかは3回転しかしちゃいけないというルールがあるのに、お客さんがちょっとかわいい女の子だったり、素敵な男の子だったりすると「驚異の8回転ソフト」を出してました。最後は、店長にバレて終わりだったんですけどね。

  そう、わたしってすごいんですよ!那覇の国際通りのど真ん中のファーストフード店だったんですけど、わたし目当てのお客さんがいっぱい来るんだから!違う高校の女の子なんかが。でも、よくよく聞いてみると、「理科室の人形みたい!」とか、眼鏡をかけていたから「大村崑にそっくり~!」とか言われてたりして。失礼ねえ。

 お客さんには、よく「辞めないわよね?」って聞かれたり、「ずっと働いててよ」とか言われたりしましたね。それで、辞める時は、お客さんから「寂しい!」みたいなお手紙を2通いただいたわ。   若かったから、つらいことよりも楽しいことの方がずっと多かったわね。

大評判!トオル流・必殺サービスとは?

 わたしは、アルバイト先では優等生だったかもしれないわね。 ファミレスでバイトしていた時なんかもね、お客さんにすごく評判が良くって、頼みもしないのにお客さんが店長に言ってくれたりして、それで時給やバイトの階級がどんどん上がっていくの。別に階級は欲しくなかったんだけど。

 ホールをやっていて、間違えて厨房にオーダーを入れちゃって、それができあがってきちゃうことがあるんですよ。「あ~!これ間違いでした、ごめんなさ~い!」かなんか言うと、「じゃあ捨てておけー!」って言われるの。そこで、ちょっと優しそうなお客さんを見つけて持って行くの。もちろんお客さんは「頼んでませんけど」と言うんだけど、「実はこれ、わたしが間違えちゃったんです。サービスですからどうぞ」って。そんなことで喜ばれたりしていました。

 ハンドバッグ屋さんの時も、とにかく売りまくったわよ。別にノルマなんかは無かったんだけど。悩んでいるお客さんには、安い方を勧めるの。「こっちのほうがお似合いですよ」なんて。それで、お客さんは「本当に勧めてくれている」と思うのかな。だからオーナーさんには気に入られていたわね。

でも、わたしは、あくまでもタレントを目指していたので、ある時から、面接で「受かったとしても半年しかできないんです」と言って、区切りを決めてバイトするようにしていました。そうじゃないと、「社員になってくれ」って言われちゃうことがよくあったんです。ありがたいことに、そのくらい評判が良かったんですね。

広告代理店でイラストレーター

  あるお店でバイトしていたとき、お客様に「君、将来何になりたいの?」って聞かれたのね。「タレントか絵描きね」って答えたら、「うち広告代理店なんだけど」って明かされて、「ちょっと描いてみてくれない?」と言うから、サラサラサラっと描いたんです。そしたら「ここでいくらもらってるの?プラス300円出すから来ない?」って言われたんです。それで、「行こうかしら?」って、そのお店を辞めたのね。

 その代理店は、男の子向けのグラビア雑誌に出す広告を作ってたのね。その広告用イラストを描くアルバイトでした。

 

だから、今30代、40代ぐらいの男の方で、当時よくグラビア雑誌を見たっていう方は、わたしの描いた広告のイラストも目にしたことがあるはずよ。そのぐらいたくさん、600か700ぐらいは作ったんですよ。

 イラストだけを描くのでもよかったんだけど、制作途中の広告を見たら、「ええ?それちょっとダサイわよ~!」って口を出しちゃって、結局、デザインもやったりしてました。パソコンなんてまだないから、マックとかじゃなくて写植の時代よ。この広告代理店の方とは、今でも仲良しですね。

よくしてくれた人にはお礼をしたかった

  わたしが完全にアルバイトを辞めたのは、漫画家になってから。出版社に作品を持ち込んだら、運良く、掲載していただけることになりました。でも、「毎月描けるわけでもないし、次にオファーが来る保障もないし…」と思っていたんだけど、デビューしてすぐ毎月描けるようになって、「あら、これで暮らせるじゃない?」ということになって。

 思い返してみると、バイトをしていた時のお客様や、同じようにそこで働いていた人たちなど、本当にみなさんよくしてくださったと思います。

そのときって、まったくお金がない時代だったから、よくしてくださっても、なかなかお返しできないじゃないですか。でも、わたしは、絵が描けたり、お料理ができたり、っていうところを駆使して、お礼をしました。

  「幸せを呼ぶ北欧のこびと”ノーム”よ」って絵を描いて、額縁に入れてプレゼントしたり、誕生日にはケーキを焼いて持っていったり

 そういうふうにしていたら、どんどんつながりが深くなっていって、いまだに家族ぐるみでお付き合いしている方もいるぐらいよ。お金もなくて、何も持っていなくて、ただ「タレントになりたいわ」って夢見ている子をかわいがってよくしてくれた人、っていうのは、今でもいちばんの宝物なのね。

夢見るアルバイターへ!熱いアドバイス

 わたしがお酒を飲みに行ったりすると、売れない芸人や女優の卵みたいな子に、「女優目指しているんですぅ。どうしたらなれるんでしょうか?」なんて聞かれることがあるんです。でも、「アンタねえ、お客さんの前でタレントになりたいとか、歌手目指してるなんて言うんじゃないわよ。働いている時は、そこの店の人間なんだから、『どうしたらお客さんが喜ぶかしら』ってことをまず考えて働かなくちゃ」ってお説教しちゃうの。

 「『この仕事は夢をかなえるまでのつなぎなんだ、生活費のために働いているんだ』ってなると、お客さんはあなたのことをつまんないと思っちゃうわよ」って。   だから、わたしもアルバイトの場では、お客さんにそんなこと絶対言わなかったわ。「歌が好きなの!」ぐらいは言ってたけど。

 やりたいことを仕事にできる人っていうのは少ないものじゃない?でもどんな仕事でも、人に必要とされる喜びには、変わりはないと思うの。どこで“ひょうたんから駒”が出るか分からないし、その仕事が意外と自分に向いていて楽しくなっちゃうことだってあるんだから、アルバイトでも、『そこのお店のためになる人になりましょう』と思うのよ。それが大事なんじゃないかしら。

何年かたって、そこで働いたことって必ず引き出しのひとつになるのよ。とにかく一生懸命やったら人の輪が広がるし、未来につながるかもしれないから、がんばってみましょ!

バイトル情報局