増田
漫才師になった最初の夏に、わらび餅屋さんをやりました。軽トラを借りてわらび餅とカキ氷を積んで売りに行くんですよ。
まず車を借りるのに5,000円払って、わらび餅とかきな粉とかを自分で仕入れて売りに行くんですよ。例えばトラック代込みで10,000円分仕入れて、もし6,000円しか売り上げなかったら4,000円の赤字なんですよ。調子がいい時は15,000円くらい稼ぎましたけど、その年はちょうど冷夏で全然売れなくて大変だった。でもそれはそれで、けっこう楽しかったかな。
そのバイトは「トミーズ」の雅さんや健さんとかがやってはったところで、他にも芸人さんがいましたね。
おかげでわらび餅にはうるさくなりましたね。その辺のわらび餅を食べても「美味しくない」って感じますから。
昼間は団地とか住宅街にトラックを止めて子供相手に売って、夕方になったら家に帰る人を狙って駅前に行くんです。たまたま行ってた駅が、当時付き合ってた彼女の使ってる駅だったんで、仕事帰りに彼女のマンションに寄って、残ったわらび餅を冷蔵庫に突っ込んで帰ったりしてましたね。それが今の嫁です。そういうわけでやっぱり嫁もわらび餅にはうるさいですね(笑)。
岡田
カラオケボックスの後は結局、ガソリンスタンドでバイトしました。僕、車好きやったんで。それが最後のバイトですね。
自分の車を毎日のように洗車してたんで、洗車の技術的なことはいろいろ覚えましたね。でも今の仕事には何ひとつ役に立ってませんね(笑)。
夕方、バイトからあがったら毎日洗車ばっかやってましたけど、社員の人もやっぱりそうで、なんか洗車せんとイライラするんでしょうね。毎日やらないと気が済まなくなってくるんです。副主任の車なんて洗車のし過ぎでホントに色が落ちてきたんですよ!塗装が落ちてくるぐらい、毎日必死にやったんでしょうね。
あ、でもバイト経験のおかげでオッチャン、オバチャンと喋るのは上手くなりましたね。どっちかというと、年配の人としゃべってるほうが得意になりました。その層にはかなり評判が良かったです。
バイトの職種にはあんまりこだわってなくて。自分の時間でスケジューリングできるようなバイトばかりだったから、なんかどれも地味なんですよ。配達仕事は特に自分に合っていて、休憩する場所を自分で決めたり、ラジオを聴きながら走ったりできるのが良かったんですね。
増田
そうそう、俺もAMラジオを聴くようになりましたね。「昼のラジオってオモロイな」って。いまだに車に乗ってる時につい、AMラジオを聴きますよ。
今の仕事で自分たちのラジオのコーナーを考える時に、そのころを思い出して、例えば「営業先から帰ってる同年代の会社員向けのコーナーを作ろう」とか、「夕方配達を終えて帰る時にありがたかった、夕刊拾い読み系コーナーをやろう」とか、どんなのがうれしいだろうかといろいろ想像してますね。
そういう意味では、アルバイトが今の仕事に役立ったといえますね。
|