スターアルバイト烈伝
ますだおかだ
ますだおかだ
PROFILE

増田英彦(ますだ ひでひこ) 1970年2月9日生まれ 大阪府出身。
岡田圭右(おかだ けいすけ) 1968年11月17日生まれ 大阪府出身。
1993年にコンビ結成。翌年には14年間吉本興業の芸人しか獲得したことのなかった「ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞」を獲得。東京でもお笑い勝ち抜き番組「GAHAHAキング爆笑王決定戦」(EX系)で第3代チャンピオンとなる。「爆笑オンエアバトル」(NHK)では番組史上初となる満点を達成。17戦全勝の記録もいまだに破られてはいない。その後も大阪で数々の賞を受賞し、平成14年に漫才界の最高峰「上方漫才大賞」を受賞。それを機に東京に拠点を移し、「M-1グランプリ2002」で優勝を果たす。数多くのお笑い芸人がひしめく昨今で、バリバリの実力派として人気を博している。

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バックナンバー
山川恵里佳 Erika Yamakawa  本格的に芸能界に入る前に、ふつうのバイトをしてみたい、と始めたパン屋さんのバイト。大好きなパンに囲まれ、かわいい制服を着て、テンションが上がりっぱなしだった恵里佳さんのバイト時代とは?あの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。 毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
すでに自活!?ますおかの高校時代のバイト体験

増田
初めてのバイトは高校2年の時で、八百屋さんをやっていた親戚のオッチャンのトコで、商品を自転車で配達してましたね。
僕、高校くらいから自分の小遣いを親からもらってなかったんで、なんやかんや自分で稼いでたんですね。


岡田
僕の最初のバイトは高校生の夏休みですね。原付が買いたくてバイトをやったんです。
何のバイトかというと、なんかおっきな倉庫にいっぱいレコードがあって、注文書の伝票の通りにレコードを選んで、配送に回すという仕事でしたね。特に自分で選んで決めたわけではなくて友達がやるから一緒にやろうみたいな感じでしたね。

体験談もまるでネタ!大学時代のバイトのキーワードはヌードとキムチ!

増田
大学時代は、いろんなバイトをしましたね。20種類くらいはやったんじゃないですかね。
最初は大学の近くの写真屋さん。僕、写真が好きやったんで。そこに毎週月曜日に現像しに来るオッチャンがいてたんですけど、いっつもヌードの写真を持って来るんですよ(笑)。たぶん日曜にヌード撮影会みたいのがあって、週明け月曜の朝にその写真を現像に持って来て、夕方に受け取っていくんですよ。そのヌード写真が見たいがために月曜日は必ずバイトに入ってましたね(笑)。 
それから、スイミング・スクールのコーチとか、プール・バー、コンビニ、学習教材の訪問販売なんかもしました。少しでも時給の(給料の)いい職場を見つけたら、すぐそっちに乗り換える、みたいな感じでしたね。

その中でも割と続いたんがコンビニのバイトですね。コンビニって新しい社員さんが見習いで来たり、これからフランチャイズを構える人が研修に来たりするんですけど、その研修に来た人に気に入ってもらって、その人の新しい店にスカウトされたりしましたね。それで2ヵ所くらい行きましたよ。行った先でまたスカウトされたり。優秀やったんですかね(笑)。
あ、でもそのスカウトされて行った店で、ある日夜勤の時にヒマやったからいつも店に来る若い女性のお客さんをスタッフルームに呼んで一緒にしゃべっとったら、夜中に突然店長が来て、即刻解雇されました。全然優秀じゃなかったですね(笑)。
で、その後、なぜか解雇された原因になった女性の弟の家庭教師をすることになったりしました(笑)。

 

岡田
僕は配達のアルバイトですね。またしてもかなり地味ですけど(笑)。
免許を取ったんで車に乗りたかったんですね。お漬物とかを料理屋さんに届ける仕事でした。業務用配達みたいな。

そのバイトは求人情報誌で「配達のバイト」ってことで探したんですけど、けっこう長いことやってましたね。僕以外は皆さん正社員で、アルバイトは僕くらいって職場でした。
業務用の食品業者ですから、配達で運ぶ量がハンパじゃないんですよ。一度、大阪のビジネス街のど真ん中で、たるに入ったキムチを思いっきりドーンとひっくり返して、恐ろしくなってそのまま逃げたことがありましたね(笑)。これはシャレにならんて思って、たるだけ持ってバーッと走って。北浜って街の地下通路なんですけど、その日はそこが1日中キムチ臭かったと思いますよ(笑)。

ついにデビュー!コンビで雇ってくれるバイト先を求めて…

増田
デビューして、新人賞を獲って食えるようになるまで、1年くらいはバイトしてました。
最初は二人で一緒にできるバイトをした方がいいだろうって探したんですけど、やっぱり、「二人一緒に雇ってくれ」って言ったらまず断られるんですよ。「休む時も二人一緒になるんちゃうんか」って。松竹のタレント養成所に行ってるって話もしたんで。
でも、やっと融通の利く所が見つかったんですよ。ガソリンスタンドでした。 

今でも忘れもしない、片岡部長って方が電話で、「いいよ、君たちの夢を応援するよ」みたいなことを言ってくれまして。めちゃくちゃいい人やなって思って「今からすぐ面接行きます」って岡田の家から履歴書を持って一緒に向かったんです。

そしたら、大阪の御堂筋の高架下にあるガソリンスタンドやったんですけど、確か1月で、めっちゃ寒そうにバイト連中が洗車してたんですよ。遠目にそれを見て、岡田と二人で「こりゃ無理や」と(笑)。
で、岡田の家に戻って片岡部長に電話して、「すいません、ボクら急遽東京に行くことになりました」って大うそついたら、「そうか、ガンバレよ!」みたいに言ってもらって。いまだに一番謝りたい人ですね(笑)。今でもそのスタンドの前を通るたびに、「あの人が片岡部長やったんかな、申し訳ないな」と思いながらガソリンを入れることもなく素通りしてます(笑)。

で、次に見つけたのが新装オープンの4階建てのカラオケボックスでした。「二人一緒に」という事情を話しても、OKしてくれたんです。

初日に行ってみたら、他にぎょうさん男性のスタッフがいて、全員イケメンなんですよ!
それで1階には裸のSMAPのポスターが貼られてて、2階には少年隊とかの裸のポスターがズラッと並んでて、3階に行くと今度はプロレスラーの裸のポスターがあって(笑)。つまり店長がゲイやったんですね。だから店員にイケメンばっかそろえてたんです。どう見ても僕だけおかしい。岡田のバーターだったんでしょうね(笑)。

バイト内容はというと、まず朝11時に出勤すると店長が「ゴハンでも食べに行こう」って、パートのおばちゃんだけ残して、連れ出されるんですよ。それで店長と二人でごはん食べて、3時くらいまでおしゃべりして店に帰ってくる。ボックスのあった場所が難波のちょっと裏通りだったんで、夜しかお客さんが来ないんですよね。当時、僕はゲイの人に出会ったことがなかったんで、そういう人がいるという発想がないんですよ。「ここの店長ええ人やな、こんなんでバイト代もらってええんかな」って思ってました(笑)。

それである日、岡田から電話かかってきて、「オマエどう思う?」って聞かれて、「どう思うって、ええ店長やな」「なんでやねん、完全にゲイやないか」「ゲイって何よ?」「ほな明日出勤したらレジの下の引き出し開けてみろ」ってやりとりがありまして。それで次の日、早速見てみたら…。

衝撃の事実が発覚!カラオケボックス店長の秘密とは!!

増田
次の日、バイトに入って早速レジの下の引き出しを見てみたら、ゲイの雑誌が入ってたんですよ(笑)。それでも僕はまだよく分からなくて、岡田に「コレ何よ?」って電話したら「お前、ゲイって分からんのか?」って。「へー、そんな世界なんや」って驚きました。
あとあと聞いたら、そのあたりはゲイの人らが集まる場所やったんですよ。カラオケボックスがある場所自体がハッテン場やったんです。ウチのベテラン芸人のある師匠も行きつけやったという(笑)。

そんな中で「キツイなあ」って思ったのが、バイト仲間のあるヤツが店長に「従業員旅行に行くぞ」って言われてサウナに連れていかれて、身体を触られまくったって話で。店長は「ほかのみんなが来ないなあ、おかしいなあ」って言うらしいんですが、もちろん来るはずもなくて、ずっと2人きりなんですよ。

たぶんそいつが一番店長に気に入られてたんですけど、そいつがなんと反乱を起こして、カラオケボックスに火をつけてボヤ騒ぎを起こしたんですよ!ボクらが慌てて駆けつけたら、消火剤まみれになってる店長が出てきて「チキショウ」言ってましたね(笑)。
そのカラオケボックスは今はもう無いですけど、でもまあ、今となってはいろいろ応援してくれたいい店長でしたけどね。会ってお礼を言いたい人ではありますね。
「2人一緒に雇ってくれる所はロクなとこがない」って、そこでかなり懲りて、それからは別々にバイトをすることにしたんです。

バイト先での「甘い思い出」と「辛い思い出」

増田
初めての彼女は、一番最初に働いたコンビニの店員の女の子だったんですよ。僕が大学2年生で、彼女は高校2年生やったかな。
出勤の初日に店ですごくかわいいコを見かけて、聞いたらバイトの面接に来てたコだったんです。彼女は夕勤、僕は夜勤だったんで、直接の接点はなかったんですけど、バイトの勤務日誌みたいなのがあって、それがバイト4人くらいの交換日記みたいになって、日誌を通じてそのコと仲良くなったんです。

ところが、サンダーバードみたいな顔したコンビニの店長は、自分が仲間に入っていないその交換日記が気に入らなかったみたいで、「やめましょ」ってなっちゃいまして。「せっかくそのコと仲良くなったのになあ」なんて思ってたら、ある日そのコからの手紙が僕の制服に入ってたんですよ。それから僕も彼女の制服に手紙を入れ返して、文通みたいになりまして、どんどん仲良くなったんですね。
それで、買ったばっかりの車でバイト帰りの彼女を、偶然を装って拾って(笑)、神戸の六甲山に夜景を見に行って付き合うことになりました。その日は大雨で、帰りに脱輪したりしましたけど(笑)。

 

岡田
僕はバイト先でそういうつながりはあんまりなかったですね。1人で完結する配達の仕事が多かったんで。
そういえばホテルのベルボーイをやった事もあるんですけど、そこではサービス業の裏側を見せられましたねー。

まあみんな仲悪い!普段、「いらっしゃいませ~」なんて人にサービスしてるから、自分自身はストレスが溜まってるのか、人の悪口がすごかったですね。「うわ、グチャグチャやな」って思って、それにはだいぶヒキましたね。なんという表と裏。残念ながらあまりいい雰囲気っていうのはありませんでしたね。
だから女の人の多い、華やかなバイトがやりたかったです。当時はどうしても時給を考えてしまったんで。今考えると残念ですねー。

現在に繋がる貴重な体験をさせてくれたバイトと、そうでないバイト…

増田
漫才師になった最初の夏に、わらび餅屋さんをやりました。軽トラを借りてわらび餅とカキ氷を積んで売りに行くんですよ。
まず車を借りるのに5,000円払って、わらび餅とかきな粉とかを自分で仕入れて売りに行くんですよ。例えばトラック代込みで10,000円分仕入れて、もし6,000円しか売り上げなかったら4,000円の赤字なんですよ。調子がいい時は15,000円くらい稼ぎましたけど、その年はちょうど冷夏で全然売れなくて大変だった。でもそれはそれで、けっこう楽しかったかな。

そのバイトは「トミーズ」の雅さんや健さんとかがやってはったところで、他にも芸人さんがいましたね。
おかげでわらび餅にはうるさくなりましたね。その辺のわらび餅を食べても「美味しくない」って感じますから。 

昼間は団地とか住宅街にトラックを止めて子供相手に売って、夕方になったら家に帰る人を狙って駅前に行くんです。たまたま行ってた駅が、当時付き合ってた彼女の使ってる駅だったんで、仕事帰りに彼女のマンションに寄って、残ったわらび餅を冷蔵庫に突っ込んで帰ったりしてましたね。それが今の嫁です。そういうわけでやっぱり嫁もわらび餅にはうるさいですね(笑)。

岡田
カラオケボックスの後は結局、ガソリンスタンドでバイトしました。僕、車好きやったんで。それが最後のバイトですね。

自分の車を毎日のように洗車してたんで、洗車の技術的なことはいろいろ覚えましたね。でも今の仕事には何ひとつ役に立ってませんね(笑)。
夕方、バイトからあがったら毎日洗車ばっかやってましたけど、社員の人もやっぱりそうで、なんか洗車せんとイライラするんでしょうね。毎日やらないと気が済まなくなってくるんです。副主任の車なんて洗車のし過ぎでホントに色が落ちてきたんですよ!塗装が落ちてくるぐらい、毎日必死にやったんでしょうね。

あ、でもバイト経験のおかげでオッチャン、オバチャンと喋るのは上手くなりましたね。どっちかというと、年配の人としゃべってるほうが得意になりました。その層にはかなり評判が良かったです。
バイトの職種にはあんまりこだわってなくて。自分の時間でスケジューリングできるようなバイトばかりだったから、なんかどれも地味なんですよ。配達仕事は特に自分に合っていて、休憩する場所を自分で決めたり、ラジオを聴きながら走ったりできるのが良かったんですね。

 

増田
そうそう、俺もAMラジオを聴くようになりましたね。「昼のラジオってオモロイな」って。いまだに車に乗ってる時につい、AMラジオを聴きますよ。
今の仕事で自分たちのラジオのコーナーを考える時に、そのころを思い出して、例えば「営業先から帰ってる同年代の会社員向けのコーナーを作ろう」とか、「夕方配達を終えて帰る時にありがたかった、夕刊拾い読み系コーナーをやろう」とか、どんなのがうれしいだろうかといろいろ想像してますね。
そういう意味では、アルバイトが今の仕事に役立ったといえますね。

 

バイトル情報局