スターアルバイト烈伝
天野ひろゆき
天野ひろゆき
PROFILE

1970年3月24日生まれ。愛知県出身。
趣味はフィギュア収集、ものまね、料理。1991年、ウド鈴木とのお笑いコンビ「キャイ~ン」を結成。以来、「はなまるマーケット」(TBS系)、「リンカーン」(TBS系)、「特上!天声慎吾」(NTV系)のほか、人気バラエティ番組やドラマ、ラジオでも活躍中。2004年には映画監督として短編映画「CAGE」を監督し、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭に入選を果たしている。

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天野ひろゆき(キャイ~ン)Hiroyuki Amano  高校時代は、趣味や遊びよりもバイトを選んでいたほどの猛烈アルバイターだった、アマノッチ。今や「天才シェフ」として呼び声の高いアマノッチのルーツは、レストランでのバイト体験にあったのだ!あの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。 毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
「世代のギャップ」を初バイトで初体験

初めてのバイトは、運送会社にオヤジが勤めていた関係で、引っ越しのバイトでした。土日や夏休みに、かなりの頻度で働かせてもらいましたね。

田舎は大きい家ばかりで、とにかく物を持ってる家が多いんですよ。弾きもしないのにピアノを持っていたり、本の量もハンパじゃない。だから引っ越しは大変なんです。まあ、僕の場合は、衣類なんかを中心に運んでいましたけどね(笑)。

おかげで、今でも段ボールにヒモをかけたり荷造りなんかはうまいですよ。

引っ越しのバイトでは、バイトだけじゃなくて社員の方も一緒に働くわけじゃないですか。お父さんほどではないけれども、ずいぶん年上の人と一緒に過ごしました。「世代のギャップ」というものを初めて感じましたね。昼休みに見るテレビひとつとっても、「いいとも」じゃなくて「昼ドラ」なんだ、みたいな。
バイト代はあこがれのあの店で…

引っ越しのバイトは、1日3,000円ぐらいだったかな。日払いでした。今思えば、すごく安いですよね。でも、1ヵ月の小遣いが1,500円ぐらいの当時の自分にとってはかなりの大金ですよ!

僕はけっこう自立心が強いタイプだったんです。親に物をねだった記憶はあまりありませんね。欲しいものがあったら、自分でお年玉や小遣いを貯めて買う。だからバイト代もほとんど貯金していました。夏休みは、仕事があればあるだけやっていましたから、けっこう貯まりましたよ。

うちは、親があまり外食に連れて行ってくれなかったんですよね。当時はファミレスができ始めた頃だったので「デニーズってスゴイらしいぞ」と、行ってみたくてしかたなかったんですけど。「マクドナルド」とか、「サーティワンアイスクリーム」とかあこがれましたねえ。

「サーティワンアイスクリーム」ができた時は、それまで貯めていたバイト代を使って、バーンとダースで買いました。うれしかったですね。なのに、それを親が食べようと狙ったときは、首を絞めてやろうかと思いましたよ(笑)。あとは、友達におごったりもしたかな。「なんでも好きなもの頼めよ」みたいな。僕は「ドラえもん」でもスネ夫が好きですから(笑)。

今に生きるスキルを得たレストランでのバイト

今、料理の番組をよくやらせてもらっていますけど、レストランでのバイトが一番長く続けたバイトですね。高校1年から高校3年の終わりまで。時給は550円から始まって、あとは能力に応じてちょっとずつ上がっていく。ちょっと安いかもしれませんけど、給料以上に得るものが多かったですし、楽しかったですね。

始めはウエイターだったんですけど、お客さんとすぐ話し込んじゃうんですよね。「いや~、これあんまり美味しくないですよ」とか言ってしまって「天野くん、厨房に行ってくれ…」とよく注意されました(笑)。それで、高校1年の後半ぐらいから厨房で働くことになりました。

家ではかあちゃんがなんでもやるんで、僕はカレーとかラーメンとか、簡単なものを作るぐらいでした。だから、僕が本格的な料理を覚えたのはレストランの厨房でしたね。「エビの背わたを取る」とか「キャベツの千切り」とか、最初のころは下準備を頼まれることが多いじゃないですか。包丁さばきは、そういう作業で身に付いたんですね。料理するのも好きだったし、いつか一人暮らしをした時に役に立つだろうと思ってやっていました。

いつの間にか厨房を一人で切り盛り

バイト先のレストランは50席以上ある大きな店だったんです。ランチは満席で、50食ぐらい出るんですよ。入って半年ぐらいまでは調理の下準備だけだったんですが、マスターがサボり癖があるのか、いろいろ任されるようになってきて、そのうち僕がメインシェフみたいになっちゃいました。気付いたら「この店、俺が切り盛りしてるじゃないか!」と思ったりして。高校生なのに(笑)。今考えてもびっくりですよね。

お店のメニューは、ファミレスみたいにピラフもハンバーグもなんでもある、という感じでした。マスターが結構シャレていて、“クロックムッシュ”だとか“パンのグラタン”だとか、そういうメニューもあったりして。
だから、そこで初めて知った料理っていうのもたくさんありましたね。「ドリア」の存在も、そのレストランで知りました。うちの家族なんて誰も知りませんでしたから。
お酒も出していたので、カクテルも作りました。「ロンリコラム」とかね。高校生だから飲めないんだけど、まるで理科の実験みたいにして作りましたね。その頃はどう考えても美味しいそうには思えなかったですね。
高校の担任の先生が来たときに、自分が作った料理を出したら「おいしいぞ。がんばれよ」なんて言ってくれました。良い先生でしたね。ハンバーグをおまけしたからかもしれませんが(笑)。
その時の僕の得意料理は、「ツナおろしスパゲティ」。これはその店の看板メニューで、タマネギとピーマンとパスタを炒めて、大根おろしとツナを載せて、貝割れ大根を飾る。あっさりしていておいしかったですよ。今でもよく作ります。

大学生の時に一人暮らしを始めてから、やっぱりレストランでのバイト経験がすごく役に立ちましたね。お金が無くても、自炊だと安く上げられますし、たくさん作って冷凍保存することもできます。料理ができたおかげで食生活はいつも豊かでした。4畳半一間の部屋でしたけど「じっくり煮込んだ、ビーフストロガノフ食べてます」という生活でした。

パン屋さんで芽生えた淡い恋

高校の後半は、もっとお金を稼ごうと思って、登校前にもパン屋さんでバイトすることにしたんですよ。それもパンを並べて売るだけではなくて、焼くところからです。発酵させて、卵を塗って、焼き色をつける。

そのバイトで、なぜカレーパンのふちが白いのかを知りましたね。あれは揚げる時に浮いているからなんですよ。ひっくり返しても同じところが浮いてしまう。あとは、チョココルネは焼いた後にチョコを入れているのかと思っていたら、板チョコを入れて焼くと自然にチョコが溶けてチョココルネになるんですよ。

そんな驚きの中、4つぐらい年上の大学生のかわいいお姉さんと一緒に働けるのがうれしくて通いましたね。淡い恋ですよ。

朝の5時から7時半ぐらいまでパン屋さんでバイト。夕方からはレストラン。高校時代はバイトばっかりしていたせいで、学校では確実に眠っていましたね。3時限目ぐらいから爆睡で、起きた頃には昼飯ですよ。そんな生活のせいで、とんでもない失敗もありました。

疲れて帰ってきたあとに風呂に入ると、学校の制服のズボンをパンツと一緒に脱いじゃったりするわけですよ。翌朝は早いので、母ちゃんも気付かなかったりして、朝になっても脱いだままの状態で洗濯かごに入っていたりするんです。

そのズボンを履いて、また出かけるわけですが、ズボンの中にパンツが入っていたことがありまして。寝ぼけていて分からなくて、パン屋さんのバイト中に、その使用済みのパンツが足首のところから出てきたことがありました。大好きな人と一緒の日だったのに!

「えっ?今、ノーパンなの?」って言われて。今なら「こりゃあオイシイ」と思うけど、高校生だったので、ものすごく恥ずかしかったですよね。

僕が原因? 「まさか…」の切ない体験

ある日、店長がすごく切ない顔でやってきて「天野くん、一生懸命やってくれているのは分かるんだけど、君がパンを並べ終わるのは、お客さんのラッシュが終わってからなんだよね。あと10分早くならないかな」と言われたんです。

僕はA型なので、けっこう丁寧に、几帳面にパンを並べていたんですけど、お客さんが一番多く来るラッシュ時に間に合っていなかった。それで、お目当てのパンがない、と言って帰ってしまうお客さんも居たみたいなんです。ラッシュが終わった時間に、きれーーーいに全部並べ終わるんで、全部きれーーーーいに残ってしまった(笑)。

それから、急いで並べるようにして、なんとか間に合わせていたんですが…。

2週間ぐらいして、店長がまた切ない顔してやってきて「天野くん」と呼び止められたんです。僕が「最近はちゃんとラッシュ前に並べられるようになったと思いますけど」と言ったら、「いや、店がつぶれることになったんだ」。

切ないでしょ。それは僕が原因じゃないかと反省しているんですよね。
バイトで立ち会った、歴史的瞬間!

大学時代、夜中にコンビニでバイトしていました。ちょうど消費税導入の年(1989年)だったんです。その日の夜12時、日付が変わった瞬間から消費税をいただくという日に、バイトに入っていたんです。あれは運命というものを感じましたね。このお客さんから3%いただくんだ!という。

「合計は○○円で、消費税は○円です」みたいなことを言ってたんじゃないかな。なんだか歴史的瞬間に立ち会えたみたいでうれしかったです。

消費税が付くようになってから、子どもが「50円のアイスが買えない」と言って泣いている姿を見たりもしましたね。そういう「世の中の流れ」みたいなものって、コンビニでバイトしていなければ、実感がわかなかったかもしれないですね。

大学時代は、ゲームセンターでもバイトしましたね。ダービーゲームの実況中継をしたりして。ゲームのくせに「各馬、一斉にスタート」みたいな。ゲームだから誰も落馬なんてしないから!(笑)でも、その実況のバイトも、今の仕事で生きていますよね。

バイトは自分のやりたいことを見つける近道

僕は、自分が興味のあることや、後々プラスになりそうなバイトを選んでやっていました。だから、やってみたかった仕事はたいてい経験したような気がします。

僕みたいに芸能界の仕事ではなくても、後々役に立つことはいろいろあるから、いろんなバイトを体験したほうがいいと思います。

そうやっていろいろなことを経験していると、つぶしが利く。ひとつの夢がダメになると、すぐにくじけてしまう人が居るじゃないですか。でもいろいろな経験で広い視野を培うと、どっちに転んでも生き残っていけると思う。精神的に強くなれると思います。だから、すでにやりたいことを見つけた人も、そのほかのことも幅広くやっておくと気持ちがラクになりますよ。

自分のやりたいことが見つかっていない人は、それを見つけるのにもバイト経験は役に立つと思います。一度やってみないと、自分に合う・合わない、というのは分かりませんからね。たとえば、レストランで働いてみて初めて、人とのコミュニケーションが意外と好きなんだということに気付いたり。

バイトって、“自分のやりたいことを見つけるための近道”なんだと思うんですよね。
バイトル情報局