そうして海外を旅していたんですけど、じいさんが死んでしまったことや、他にもいろいろとあって帰国することにしたんです。帰ってきたときは「もうそろそろ役者をやらなきゃな、ちゃんと生きなきゃな」という気持ちでした。「何かを表現して“グレイト”になりたい」という夢は子供のころからずっと持ち続けていたから、気持ちが焦っていたんですよ。「とにかく何でもいいから表現者として成功したい」って。でももちろん現実はそんなに甘くなかったですよ。
実家は印刷屋を営んでいて、つまり僕は「跡継ぎ」で、会社の経理みたいなことをしないといけなくなったんです。従業員もいましたし、雰囲気的にそろそろ僕の時代だと周囲から思われてたんです。9時~17時で働いてましたけど、演劇学校みたいなものにも通ったりして、気持ち的には相変わらず自由な生活でしたね。
高校のとき、演劇を3年間やっていたので、演劇学校での成績は良かったですね。当時の僕は「スターに付いたら道が開ける」と考えていたんで、三橋達也さんの「付き人」になったんです。今考えてみると全然そんなことはなくて、ただの勘違いでしたけど(笑)。でも2年半の間、三橋さんに付いたことは非常に勉強になりましたね。その時の僕は「芸能界のイロハ」なんてまったく分からなかったですから、付き人をやってみて、それ相応にいろいろなことを教わりました。
始めたばかりのときは「何だよ、1日で辞めてやる!」なんて思いましたけど(笑)。それくらい付き人という仕事は大変なんです。
三橋さんは難しい人なんですよ。私の死んだオヤジと同じ「大正の人」ですから。今までの付き人は長続きしなかったらしくて、僕の2年半が歴代1位だったらしいです。辞めたときも、トラブルがあったわけじゃなくて、「自分をもう一回見直したい」「役者としてやっていきたい」ということを話したら、あるプロダクションを紹介してもらえたんで、それで付き人を辞めたんです。 |