スターアルバイト烈伝
ケイン・コスギ
ケイン・コスギ
PROFILE

1974年10月11日生まれ。アメリカ生まれ。父・ショー・コスギに1歳半から武道を習い始め、日本空手・剣道・柔道・古武道・テコンドー・中国武術とあらゆる武道に携わる。ショー・コスギのハリウッド映画に6歳でデビュー。そのキャラクターを生かしたスポーツエンターテインメント番組「筋肉番付」が好評を博し、2004年「すぽると!」(CX)ではキャスターにも挑戦。同年よりNHKの新番組「からだであそぼ」にレギュラー出演。現在多数のCMやドラマ、バラエティー、ハリウッド映画作品「DOA」と「ROGUE」と、日本にとどまらずグローバルに活躍中。

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ケイン・コスギ Kane Kosugiあの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。 毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
初アルバイトは忍者コスプレ用の衣装販売!

ケイン・コスギ僕は18歳までアメリカのロサンゼルスにいました。高校を卒業して日本に来たんですけど、それまでアルバイトの経験はほとんどありません。アメリカの高校生はみんなアルバイトをしますが、僕はスポーツや武道のトレーニングが毎日忙しかったので、アルバイトをする時間がなかったんです。

中学に入る前に、父親の道場を1~2週間というわずかな間ですが、手伝ったことがあります。その頃、父親(※ショー・コスギさん。「忍者」シリーズでハリウッドで大活躍したアクションスター)の出演映画の影響で、アメリカではすごい忍者ブームになっていまして、ハロウィンの時期に忍者の仮装をしたいという人たちで、道場がとても忙しくなったんです。
というのも、ロサンゼルスで忍者の衣装とか刀、胴着を売ってるのは父親の道場だけで、他では売ってなかったんですね。
たくさんの子供やファンが忍者のコスプレをするために衣装などを買いに来るので、ハロウィンのときだけは、道場の半分くらいを売り場にして販売してました。本当にどんどん人が買いに来るんですよ。僕はお客さんから注文されたサイズを倉庫に取りにいったりする係をしました。
だから友達の間では「忍者道場の息子」として知られてました(笑)。アメリカでのアルバイトの経験はそれくらいですね。

日本に来るきっかけと初めての一人暮らし

高校卒業が近づいきて、初めてこれからどうしようかを考え始めました。それまではトレーニングに夢中で、あんまり考える余裕がなかったんです。
もちろん、子供の頃から俳優になりたいとは思ってましたけど、アメリカで普通に大学に入るのか、あるいはハリウッドで俳優を目指すのか、もっと具体的にいろいろと悩みました。
そんな時にちょうど父親が日本のNHK大河ドラマ『琉球の風』に特別出演することが決まっていたので「じゃあちょっと一緒に日本に行ってみようかな」と思ったんです。
日本で1~2年いろいろ見て、日本語や日本の文化を学ぶのもいいんじゃないかと。

それで日本に来て、5畳半の部屋で初めてひとり暮らしをしました。
すぐに僕もNHKの大河ドラマの役が決まったんですが、撮影に入るまで3~4ヶ月時間が空いたので、「何もしないよりはいいかな」という気持ちもあってアルバイトをすることにしたんです。

人生初アルバイトは喫茶店で皿洗い

ケイン・コスギそれで、田町駅の近くにある小さなコーヒーショップ“コーヒー館”で、ドラマの撮影に入るまでアルバイトをすることになりました。僕のおば(父の姉:小杉正子さん)の知り合いが経営していた店で、朝から昼まで毎日働きましたね。

とにかく最初は日本語が全然しゃべれなかったので、とても大変でした。日本語ができないので注文もとれず、アルバイト時間のほとんどは皿洗いをしてましたね。あとはテーブルの上を片付けたり、時々モーニングセットの用意をしたりする程度。
初めてのアルバイトだったんで、言葉もそうですが、いろんな事に慣れるのが本当に大変でした。

そのお店のママさんはすごく優しくて、少しずついろいろな事を教えてくれました。
簡単な日本語を教えてくれて、「じゃあ注文とってみて」と注文の取り方を教えてくれたり、それからデリバリーにも自分で行くようにもなりました。最初は道が全くわからなくて、歩いて5分くらいの場所へ一時間かけていったりしていましたけど(笑)。

時々、怖いお客さんもいました。皿洗いの水しぶきが、近くに座っていたお客さんの洋服とかに飛んだ時に怒られましたね。当たり前かぁ(笑)。
怖かったけど、そういう経験ができて良かったと思います(笑)。

初アルバイトは忍者コスプレ用の衣装販売!

ケイン・コスギコーヒーショップでのアルバイト経験はすごく勉強になりました。
最初にもらった給料の金額は覚えていませんけど、思ったより少なかったのは覚えてます(笑)。こんなに一生懸命働いたのに、これだけしかもらえないんだってビックリしました(笑)。自分でお金を稼ぐのが初めてだったので、大変なんだなって思いました。
アメリカでは、お金が必要な時は両親にもらっていたので、お金の大切さ、稼ぐ事の大変さをよく分かってなかったんですね。
始めて自分で経験して、本当に大変だなあと思いました。

日本語を覚えるのも大変でした。バイト先のママさんは英語がしゃべれないし、僕は日本語が全然分からない。
最初に覚えた言葉は「カメハメ波」でした(笑)。「ドラゴンボール」をテレビで見て、とても好きになったんです。今までアメリカで、そういうアクションのアニメは見た事がなかったので。夕方の再放送を毎日見るくらい大好きになりました。「ドラゴンボールZ」ももちろん見ていましたよ(笑)。
僕は格闘モノはもともと好きだし、「ドラゴンボール」は戦いのシーンが多いので、言葉が分からなくてもストーリーが分かりやすかったのでちょうどよかったんです。

日本に来るきっかけと初めての一人暮らし

日本でビックリしたことはけっこうあります。
まず、食事の量が少ない!! 当時の僕は育ち盛りで、とにかくたくさん食べていたんです(笑)。
日本ではピザを頼んでも小さいし、サラダもアメリカでは山盛りで出てくるんですけど、日本だとすごく少なくて、「アレ、これだけ?」って。そうやって「食事の量が少ないな、もっと食べたいな」と感じていても、僕はお金をあんまり持ってなかったので、食事に苦労しました。
仕事が終わると毎日のように、ママさんがサンドイッチを作ってくれるんですけど、量は足らなかった(笑)。でもそんなこと言えませんよね。味はすごく美味しかったんですけど。

それから、住居に関してですが、部屋は小さいし天井も低いし、窮屈なユニットバスにも驚きました。アメリカはどんなに狭い部屋と言っても、もうちょっと広いです(笑)。
あと、ラッシュの電車とか地下鉄にもビックリしました。アメリカだったらどんどん人が乗ろうとすると、駅員さんが危ないから乗るのを止めるんですが、日本の駅員さんはさらに押し込むじゃないですか(笑)、あれには驚きました。

そういうことを知ることができたのも含めて、アルバイトは本当にいい経験になりました。一人暮らしも初体験だったので、できてよかったと思います。

人生初アルバイトは喫茶店で皿洗い

ケイン・コスギ僕は、日本にこんなに長く居ることになるとは思っていませんでした。
最初は一年くらい日本にいて、またアメリカの学校に戻ろうかと思っていましたので。実際に日本に来る前は、そのまま日本でずっと仕事をすることになるなんて頭になくて、やっぱりハリウッドで仕事をすることしか考えていませんでした。
でも日本に来て、初めて日本に住んで、いろいろテレビを見たり、いろんな人と話をしたりしていくなかで、どんどん日本で仕事をしたくなりました。
日本でもまだまだ勉強になることや日本でしかできないことがあるし、役者の仕事だけでなく、バラエティにもCMにも出てみたいなって思うようになったんです。

僕は本当にラッキーで、5歳くらいの時から役者になりたいっていう夢を持っていました。高校の同級生が将来について悩んでいる時も、自分は役者にしかなりたくなくて、あとはそれを実行するだけ。すごくシンプルだったんです。
でも、もし自分が何をやりたいのか分からない人は、とりあえずいろいろやって、いろいろ経験して、すごい楽しい何かに出会えればいいんじゃないかと思います。

何か目的があるほうが、行動を起こしやすいですよね。目標や将来やりたい仕事があれば、そのために頑張れると思いますから。目標が達成できた時の達成感はすごく嬉しいです。
自分が思ったとおりにいかなくても、落ち込まないでプラス(ポジティブ)に考えるようにしてます。「もっともっと頑張らないと成功できない」って。

僕は負けず嫌いで、ゲームでもスポーツでも負けたくないんですが、何か目標がないと頑張れないんです。自分との戦いにも負けたくないんです。もっといい演技、いいアクションが出来るような役者になって、いい作品にたくさんチャレンジするのが今の目標です。

バイトル情報局