スターアルバイト烈伝
玉袋筋太郎
玉袋筋太郎
PROFILE

1967年生まれ。東京都新宿区出身。ビートたけしの熱狂的ファンだったことから、1986年弟子入り。1987年には水道橋博士と漫才コンビ浅草キッドを結成する。趣味は格闘技観戦・映画・釣り・ドライブ・サイクリング・居酒屋直撃・スナック飛び込み。2007年東京マラソンにも参加し、見事4時間台で完走。「第二週刊 アサ秘ジャーナル」(TBS系)、「ぴったんこカン・カン」(TBS系)、「熱血!平成教育学院」(フジテレビ系)、「SRS」(フジテレビ系)、「草野★キッド」(テレビ朝日)に出演。玉ちゃん節が冴えまくるブログ…「タマブログ」も必見!→
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玉袋筋太郎
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バックナンバー
玉袋筋太郎(浅草キッド) Sujitarou Tamabukuroあの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。 毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
印象深い歌舞伎町の出前持ち

玉袋筋太郎なにより印象に残ってるのは高校生のときにやった(新宿)歌舞伎町のラーメン屋のバイトですね。麻雀店とか風俗店とか、コマ劇場の楽屋にも行ったし、映画館の照明室なんかにも出前したんだよね。普通じゃなかなか行けないような場所が多くて…当時は16歳くらいだったからね、刺激的だったなぁ。そのころ、山本晋也監督が「トゥナイト(当時の人気TV番組)」で歌舞伎町紹介とかやってたけど、間違いなく俺の方が歌舞伎町に詳しいと思ってたもん(笑)。

裏通りの汚い路地を通って自転車で出前に行くと、風俗の控え室からトップレスのお姉ちゃんが出てきたりして。そんなときは得した!(笑)と思った。その一瞬でその人の「人生」みたいなものも感じたなぁ。ストリップ劇場に出前に行ったときは、キッチリ配達時間の指定されたんだよね。どうやら踊り子さんがステージ終わってすぐに食べたかったらしいんだけど、配達に行ったら汗だくで素っ裸の踊り子さんが出てきて「うぉっ!」って驚いたら、その後ろを小さな息子が駆け回ってる。子供の分と二つのラーメン手渡した帰り道、なんだろ…「すげぇや、人生」なんて思ったりもした(笑)。

高校時代に見た世の中の「裏っかわ」

そのアルバイトでは世の中の裏っかわを学んだよね。例えばさ、麻雀屋でお客が出前頼むでしょ、そうすると「TEL代」っていって麻雀屋にバックが入るんですよ。500円のラーメンに「TEL代」が250円乗っかって750円とかさ。お店によって「TEL代」は違うんだよね。お金は俺が直接、お客さんから受け取るから、お店ごとの「TEL代」も覚えとかなきゃいけないの。この店は「TEL代」が250円だから…みたいな感じで計算する。こういうのってお店の帳簿には載らないお金なんだよね。ま、たまには俺個人の「TEL代」乗っけて、その金でジュース飲んだりもしたけど(笑)。

とある配達先では、額にガッツリ傷があるような男たちが部屋で麻雀してたりすることもあって、怖かったなぁ~(笑)。壁際の狭いところでやっているもんだから、奥にいる人にラーメン渡すときとかすごく緊張した。間違ってスープでもこぼそうもんなら…ね(笑)。

ラブホテルの一室に出前したこともある。部屋まで持っていってノックしたら、湯気が立ってる男が出てきたりして(笑)。嬉しかったのはコマ劇場の裏の麻雀店で由利徹さんを見かけたこと。コマ劇場で公演をやってたから、芝居の後、麻雀しに来てたんだろうな(笑)。

歌舞伎町を共に遊んだバイト仲間

玉袋筋太郎歌舞伎町界隈で出前をやってるそば屋のアンちゃんたちとは、ライバル関係だったんだよね。「デスレース!」みたいな感じでさ、歌舞伎町のど真ん中の繁華街を、自転車で競走してんの。ものすごい勢いで自転車を飛ばしてたらさ、ある日、客引きのヤクザに俺の持っていたオカモチがモロにぶつかっちゃったの。そりゃ怒るよなぁ(笑)。慌てて逃げたんだけど、歌舞伎町中を追いかけ回された。なんとか先輩が助けに来てくれてさ、間に入ってその場を収めてくれたんだけど。いやぁ、「スター・ウォーズ」のハン・ソロが助けに来てくれたみたいでありがたかったね(笑)。

当時のバイト仲間は同級生が2人いて、別の高校の奴が1人、あとは全員が大学生だった。みんなでスケベなことしか言ってなかった気がする。彼女なんてもちろんいなくてさ、なんていうのかな、トラック野郎イズム!?(笑)

ま、いろいろな体験したけど、毎日が刺激的で、やってて楽しかったよね。度胸もついたしね(笑)。

「夢」を配った年賀状配達

玉袋筋太郎高校時代には年賀状配達のバイトもやったことがある。これが夢のある仕事だったんだよ。年賀状のあて先にさ「ドラエもんへ」って書いてあるだけの年賀ハガキを届けるという(笑)。俺の配達地域に、藤子不二雄さんの事務所があったんだよね。それで「ドラエもんへ」の年賀ハガキが俺のところに回って来るの。住所なんて何も書いてなくても、ちゃんと届くんだからからドラエもんはすごいよな(笑)。

年賀状配達の途中、学校内で最高怖れられていた大学空手の猛者「ムラマツ先生」が道の向こうから歩いてきたことがあってね。いや、俺の高校、実はアルバイト禁止だったんだよね。なにせ都内で一番校則が厳しいっていう評判の高校だったんだ。だからムラマツ先生に見つかったらかなりヤバイ。だけど配達の職務は全うせねば…、子供たちの夢を配ってるワケだからね(笑)。建物の影に隠れて、じぃーっとムラマツ先生がいなくなるのをドキドキしながら見てた。まさにポストマンブルース!(笑)。

いろいろな業種にチャレンジ!

それから、チラシのポスティングの仕事もしたことがあるんだ。1000枚のチラシを持たされて、決められた区域を配って回るというやつね。配った家庭から1本でも電話のコールがあると翌日は時給がアップするしくみだったの。初日からコールがあって、時給がアップしたりしてね。
ただ、やっぱり誰も見ていないし面倒くさいからさ、3日目にチラシを2枚入れしちゃったり、束で入れたりしてあっという間に1000枚配っちゃったの。そんで何食わぬ顔で事務所に帰ってきたらさ「ちゃんと配ったかい?」みたいに聞かれて、「はい!」なんて答えたんだけど、「いや、今日のキミの担当地域、実は1000世帯ないんだよね(笑)」なんて言われてクビですよ。ちょっとねぇ…。ま、ちゃんと配らない俺が悪いんだけどさ(笑)。そのバイトに一緒に入った友達なんかは、俺がクビになった翌日、調査員に尾行されて、そいつに不正をチェックされてアウト。わざわざ尾行するくらいだったら「調査員、お前が配れよ!」って話だと思うんだけどね(笑)。

牛丼屋さんでもアルバイトしたけど、すぐ辞めちゃったな。都内でも1、2を争う忙しい店でさ、ヘトヘトになるくらい大変だった。あ、でも辞めたのは忙しいからじゃないんだ。俺さ、すごい牛丼が好きだったんだよね。だから牛丼屋で働けば毎日すげえたくさん牛丼が食えると思ったんだよなぁ。それこそ5杯でも6杯でも。そしたらさ、なんか決まりがあって、「1日1杯しかダメ」って言われちゃってさ…。記念にTシャツだけもらった(笑)。

過酷な生活!お笑い修行時代

玉袋筋太郎高校を卒業してからは、先輩と二人暮らしをしたこともある。芸人の仕事はまだあまりなかったから、食うためにはアルバイトだよね。
その先輩とふたりで肉体労働したんだけど、俺、まだ19歳ぐらいで若かったからか、妙にその土建屋の社長に気に入られちゃってさ。「正社員になれ」って言われて断るのが大変だった。「明日、ハンコ持って来い」とかさ(笑)。会社の寮に入れられそうになったりして。行きづらくなっちゃってすぐ辞めちゃったんだけど、二人して金がないもんだからホントに苦しかったなあ。
あるとき、一緒に住んでた先輩が2週間くらい帰ってこないんだ。ちょっと心配してたんだけど、ある日、やっと帰って来た先輩が、俺に札束を見せるんだ。聞いてみたら、先輩は一人土建屋に戻ってみっちり働いてたんだ。その時におごってもらったメシは、本当に美味かったな…。

アルバイトとはちょっと違うかもしれないけど、修行として働いた浅草のフランス座(ストリップ劇場)もキツかったね。朝9時から掃除とかを始めて、1日2~3ステージの裏方仕事もみっちりやって。舞台で漫才を披露しなきゃいけないし、ステージが終わった後には劇場の社長が経営してたスナックの手伝いもしなきゃいけなかった。それでもらう日給が…1000円!(笑)。スナックでお客さんからもらったチップまで取り上げられちゃうんだからさ、ひどいもんだよ(笑)。
その当時は、バブルの全盛期だったんだよね。だから高校の友達とかはソアラ(※)とか乗り回してるの。今でも俺、ソアラは憎むべき車だからね(笑)。
※ソアラ(SOARER)・・・トヨタ自動車で生産されていた高級スポーツクーベ
テレビで、黒柳徹子さんが海外の難民キャンプとかの慰問に行ってるのを見てさ、どうして黒柳さんは俺ん家へ来てくれないんだろうと思ってた。「日本にいる俺らだって難民じゃねーか」とか思ってたからね(笑)。去年「徹子の部屋」に出演した時に直訴したよ。
ただ、その状況から逃げたくはなかったんだよね。意地とかそんなんじゃなくて、ただ「逃げる」のが嫌だったな。

アルバイトは人生の学校!

なんていうのかな、久しぶりに会った高校時代の先生にも言ったことなんだけどさ、野球やサッカーの部活を頑張るのと、帰宅部だけどバイトを頑張るのと、違いはまったくないと思うんだよね。それなのに野球部やサッカー部だけが褒められるのは不公平だと思うんだよ。その先生もさ「それもそうだ」って言ってくれたけどね。

この間ね、自宅のマンションの玄関口に、いかにも研修中という感じで、ピザを配達している2人組がいたんだ。それで俺がそこを通ろうとしたら、それこそ一流ホテルマン「リッツカールトンかよ!」みたいな感じで、ササッって道を開けて「どうぞ!」って通してくれたんだよね。
バイト先の従業員教育が成せる業なのか、それともその2人の家庭教育のたまものなのかは分からないけど、やっぱり自然にそういう所作ができるってのはいいよね。こういうのって学校では教わらない部分じゃない、だからアルバイトって、やっぱり大切な社会経験なんじゃないかな。

「学生時代にはアルバイトを必ず2年はやること!」みたいな決まりを作ってもいいくらいだと俺は思うんだけどね(笑)。


バイトル情報局