スターアルバイト烈伝
河崎実
河崎実
PROFILE

1958年、東京都原宿生まれ。明治大学在学中より8ミリ映画を製作。卒業後1983年からCMプロデューサーとなるが、1984年に森田健作の復活プロデューサーをつとめたのを機にフリーとなる。1986年に有限会社リバートップを設立。以後テレビ・映画の製作を中心にあらゆるジャンルで活躍。『日本以外全部沈没』はレイトショーの歴代ナンバーワン大ヒットとなり、東京スポーツ映画賞の特別作品賞を受賞。テレビ映画では「世にも奇妙な物語」シリーズ(フジテレビ)などを制作。ちなみに実家は宇宙一旨いフグ料理屋を経営している。

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河崎実 Minoru Kawasaki あの有名人のアルバイトにまつわるさまざまな話をお送りするこのコーナー。 毎回、下積み時代の隠れた努力や、おもしろいエピソードをお届けします。
自主映画の制作費はオタク・グッズ販売で!?

河崎実俺は“元祖オタク”だから、アニメや特撮番組のソノシート(編集部注:70年代ごろ雑誌の付録などについていた薄いビニール素材のレコード盤)やグッズをいっぱい持っていて、当時まだ中野で一坪くらいの店だった「まんだらけ」に小出しに売って、小金を稼いでましたね。これがお金を自分で稼ぐ、という意味のアルバイト原体験といえるんじゃないかな。
今みたくインターネットで情報がなんでも引き出せる時代じゃないから、貴重なグッズは自分の足で歩いて探すんですよ。その頃はそんなグッズを集めている人間はあんまりいなかったんでね、デッドストック(※店の倉庫に新品のまま売れ残ってる商品)も探せばけっこうあったんですよ。大学生のときに、浅草のとあるデパートの本屋の端っこに「エイトマン」とか「ウルトラマン」とかのソノシートが、ゴソッと放置してあるのを発見してがくぜんとしたなあ(笑)。「こりゃあ、まんだらけで一枚5,000円にはなるぞ」って。まとめて1,000円くらいで店から引き取って、全部売り払って、最終的には総額何十万とかになったんじゃないかな。そうしてコツコツ貯めたお金で、自主映画を撮ってましたね。

あとは、本来のアルバイトという意味だと大学生の頃にラーメン屋の皿洗いと交通量調査をやりましたね。そのときは単に現金が欲しくてアルバイトをしたんだけど、下働きというものと、いわゆる社会勉強という意味もあったな(笑)。

ラーメン屋は親戚が経営していたお店で、完全にぬるま湯状態でしたね。仕事自体はいやじゃなかったんだけど、肉体労働ってこういうものか、というのを勉強しましたね。楽だったけど(笑)。基本的に俺は、実家がふぐ料理屋でお坊ちゃんというキャラなんで(笑)。

東宝撮影所での貴重なアルバイト体験

今思い出したけど、東宝の撮影所でアルバイトしてたんだ!一番大事なアルバイトを忘れてたよ(笑)。
大学の学生課にアルバイト募集がきてね、友達と一緒に行ったんだ。映画の撮影現場で、映画スターもたくさん見かけることができたんだけど、バイトの内情はほとんど待ち時間でタルい仕事なんですよ。それで結構みんな飽きちゃうんだけど、俺の場合は大喜びで通っていたなあ。藤本真澄という「若大将シリーズ」とか「社長シリーズ」を作った東宝の大プロデューサーがいまして、その人を見かけたのがすごくうれしかった。そんなマニアックな大学生いないよね(笑)。

当時、市川昆監督が「火の鳥」を撮影していて、バイトでそこの現場に入ったんですよ。まだ東宝のいい時代の名残がかろうじてある頃でね。バイトの仕事自体は、スタジオで撮影にあわせて電気を付けたり消したりとか、ロケに行ったときの制作進行の補佐とか、お茶だしとか、そんな感じ。拘束時間は比較的長かったけど、一日で4,000円くらいもらってたんじゃないですかね。
東宝の撮影所にみすぼらしくて汚い野原があるんだけど、市川昆監督がそこにススキを立てて、カメラで寄って撮影しているんですよ。付近にゴミとかがいっぱい捨ててあるのに。一体何を撮ってるのかと思っていたんだけど、後で試写を観て驚きましたね。なんとその映像が綺麗なタイトルバックになったんですよね。
それから草刈正雄が汚い侍の役で、ボロボロの衣装を着て地ベタで寝てたりとか、そういうこともあってすごく面白かったなあ。
市川組に入ったのはまったくの偶然ですよ。ホラ、本当はやっぱり俺としては「ゴジラ」の現場に入りたかったんだ(笑)。
そうそう「火の鳥」のクランクアップの写真に俺がしっかり写ってますよ。現場は人が大勢いて誰が誰だかわからないから、“巨匠の現場”とはいえアルバイトも映画スタッフの一員なんですよ。あれはうれしかったなあ。そういうことはアルバイトをして初めてわかった事ですよね。自分があこがれていた世界が垣間見れたアルバイトだったね。

C3POやウルトラマンになるバイト!

河崎実それから「スター・ウォーズ」のC3POの着ぐるみに入った事がありますよ。映画のプロモーションで、スーパーの中を歩いたりしたなあ。
他にもだんだん思い出してきましたよ(笑)。円谷プロでウルトラマンの着ぐるみに入るアルバイトもしてましたよ。79年に実相寺昭雄監督がウルトラマンの映画を撮ったんだけど、その初日に新宿ミラノ座の前でプロモーション・イベントがあって、その時にウルトラマンを着ました。当時は俺、痩せてたんで、ウルトラマンっぽい体型だったんですよ。いわゆる定番の「スペシウム光線」のポーズをとらないで、マニアックな「ウルトラアタック」のポーズとかとって、客に「あの技は!」とか言われてました(笑)。正しいアルバイトの姿ですよねえ(笑)。

円谷プロに勝手に出入りする子供?

河崎実15歳くらいの時からしょっちゅう円谷プロに遊びに行ってたんですよ。当時はもう原口智生とか品田冬樹(※どちらも日本を代表する特撮造形の第一人者)も同じように遊びに来ていましたね。普通と違うおかしい子供は、そうやって勝手に遊びに行ってたんです(笑)。そうしてちょくちょく顔を出しているうちに円谷プロの人が覚えてくれて、ある時、「なにかアルバイトない?」って聞いたら、「もちろんあるよ」って言われて。それで着ぐるみに入るアルバイトをすることになったんですよ。こんなに楽しい事をして、お金までもらっていいのか、と思いながら働いてましたね。
でもね、その着ぐるみは撮影用に使う本物じゃなくて、アトラクション用に作られた物でしたから、いつか本道の作り手、“表現者”になって本物を撮影したい、ってそれから強く思うようになりましたね。

その後、自主映画で「ウルトラセブン」を撮ったんですけど、セブン自身はちゃんと円谷プロから借りて撮影したんですよ。当時は運動会なんかのイベント用に着ぐるみを貸し出していたので、簡単に借りることができたんです。それを借りて、勝手に8ミリで撮ったという(笑)。もちろんレンタル料としてお金は払ってるけど、映画を撮るとは言ってない。ちょっと頭がおかしいよね(笑)。円谷プロの倉庫に行って、アトラクション用の目が黄色いユルい着ぐるみじゃなくて、倉庫の奥まで徹底的に探して、本物の撮影用の着ぐるみを見つけてね。それを借りたんだ(笑)。アマチュアだったから許されたんだろうけど、今じゃもう無理でしょうね(笑)。

くすぶっていた会社員時代

大学を卒業してからはCM制作の広告代理店に就職しました。当時は糸井重里なんかが出てきて、CMが映像の花形という時代だったんですよ。そこで「ウルトラマンがラーメン食う」とか色んなCMの企画を出すんだけど、まったく通らない(笑)。今はそういうくだけた感じのCMがたくさんあるけど、当時はCM業界も過渡期で、昔からいるオッサンが牛耳ってて、僕はくすぶってましたね。
それで社長に「君は面白いから営業に行け」って言われました。自分で仕事作ろうと考えて大好きだった森田健作に「おれは男だ!」を復活させましょう、って手紙を書いたんですよ。そうしたら本人と盛り上がって、「森田健作復活プロジェクト」を立ち上げる事になって。「笑っていいとも!」とかでブレイクして、本当に復活したんだよね。復活祭を会社に内緒で進めていたら、情報を送った「ぴあ」に連絡先として会社の電話番号が掲載されてね、それでバレて社長に怒られて(笑)。俺としては、それから森田健作はCM出るようになったし、仲良くなれたしいいじゃんと思ってたんだけどね。

その後、実相寺昭雄監督(※「ウルトラマン」シリーズ、「帝都物語」などで知られる映画監督)に出会う機会もありました。自分が撮った作品のことはきちんと覚えていて、やっぱりすごい人だなあって感激しましたね。

こういった業界でいろいろなタイプの人と仕事をした経験は、かえって良かったことだと思ってますけどね。我ながら紆余曲折してますよね。俺もただバカなだけじゃないんですよ(笑)。

アルバイトも仕事も全てが直結。頭から血が出るほど考えろ!

河崎実俺はもともと軸がブレてないんですよね。映画や特撮が何よりも好きだったから、それしか考えてない。その事にしか頭がいってないんです。だからアルバイトをやるといっても買いたい物があって金を稼ごうとか、社会経験がしたいとか、人それぞれ目的はいろいろあると思うけど、俺の場合は「アルバイトでも好きな事をする」っていう感じでしたね。

“目的のないアルバイト”っていうのは俺としては意味がないんです。むしろどんどん目的から遠ざかってると思うんですよ。だったら家で本を読んだり、好きな映画を観たりしてるほうがよっぽどいいと思います。
俺は学生の時から頭から血が出るほど考えてましたからね。どうしたら自分の行きたい世界に行けるのか。頭から血が出るほど考えて、試行錯誤しての結果、今があるわけですから。アルバイトをするなら目的を持ってアルバイトをしてほしい。どんな目的でもいいし、そこで経験した挫折にも意味がありますから。ただあこがれてるだけじゃ何にもわからないので、どんどんその世界に飛び込んでいったほうがいいと思いますよ。

今度DVDが出る「電エース」は自主映画で一番最初に作ったヒーローものなんです。俺のライフワークで、言ってみれば日記みたいなもん(笑)。真面目な特撮がある一方で、こんなバカバカしいのがあってもいいんじゃないですかね。俺は不器用だから、これからもお笑い一筋で行きますよ。

バイトル情報局